色々と考えさせられる記事でしたので、ご興味のある方はぜひお読みください。
(有料記事ですので、途中までは無料で読めます。)
外国に住んで家庭を持ちお子さんを育てている方は多いと思いますが、親は何らかの理由で、あるいは自ら希望して、自分の判断で決定、またはある程度納得をして移動していますが、子どもはそうではありません。
親が引っ越せば付いて行くしかありませんし、その国のマジョリティと外見が異なっていても、国籍はなくても、そこに生まれて育ったならその国の他の子と同じように扱われたいと考えるものです。
子どもが、初めての人生を生きているように、親も子を産んで初めて親として生きているわけですから、親になってみないとわからないことや気づかないことがたくさんあります。
子どもに良かれと思ってした事が必ずしもそうではなかったり、子どものためと思っても子どもはそうは受け止めていなかったり、合理的な判断だと親は思っていても、子供は理不尽だと受け止めるしかなかったり、素直だった子が反抗的になり、問題を思春期に爆発させたり、色々ありますよね...
教育者の子なのに不登校だけでなく、日本語教師の子なのに日本語がわからない、音楽家や芸術家の子なのに才能は今ひとつ、敬虔なクリスチャンの親の子なのにグレました等々、そのようなケースは世の中にいっぱいあるでしょう。
特に、国を跨いで子どもを育てるということは、本当に色々なことが起こりがちです。
親は子育てに手を抜いているわけではなくても、とにかく生活や仕事に追われることもあるし、勝手がわからなくて気付くのが遅くなったりもしがちです。
努力が足りなかったで片付けられるような問題だとも思いません。
親子のぶつかり合い、葛藤、いろいろなことがあって親も子も成長していきます。
アン・クレシーニさんも、やっと今話せるようになられたのではないかなと想像します。
その子の居場所、その子が安心してのびのびと生きられる世界をできるだけ早く見つけて、どの子も幸せに自分の人生を歩んでくれることを願っています。
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