リーディングスキルテストの新井紀子先生のインタビュー記事です。
簡潔にまとまって大変分かりやすいので、ぜひお読み下さい。
上記の記事の中に
『英語なら、文法なども教えますね。国語を体系的に教えるのは、多様化するこれからは、ますます必要です。国際結婚されて、一方が日本語をお話にならない家庭も増えていますし、日系ブラジル人で移住されてきて、お子さんの母語はポルトガル語、という家庭もある。フランスやアメリカなど、よそからやってくる人が多い国では、『やっていれば、そのうち分かるようになるよ』というフワッとしたやり方ではなく、システマティックに国語を教えます。『気持ちを推し量る』国語の授業の半分を、ちゃんと意味が読めるための体系的な指導に移していく必要があると思います』
とありますが、
これは娘をイタリアで育てていて実感したことと全く同じで、長年思っていたことをはっきり指摘して下さる方がやっと現われたと感じています。
国語教育と継承語教育は同じものではありませんし、同じようにしようとしても無理な点も多々ありますが、現実的には入手し易さなどから日本の国語教科書を使い、日本の国語の授業をなぞるような場合も多いと思います。家庭で通信教育や市販の国語ドリルを使うにしても、やはり国語教育の教材ですから、進度や難易度を調整することはあっても、内容は国語教育をなぞることに近くなりがちです。
私の娘も国語教科書と市販ドリルを使って家庭で日本語を勉強しましたので、(と言うよりも、当時は継承語教育に関して知識も情報もなく、家庭で日本語を教えるに当たって国語教科書を指針にするしか方法が思い浮かばなかったと言うのが現実ですが)イタリアの小学校でのイタリア語の教え方との違いを実感し、国語教科書の単元で苦労したことがあります。
娘の場合、イタリアの小学校でかなり早い段階からイタリア語の文法をみっちり学んでいました。
アルファベットをおぼえ、単語が書けるようになり、文章が読み書きできるようになった位から、その練習は始まっていたようです。
先生が本などから選んだ文章を読み上げ、それを聞きながらノートに正確に早くその文章を書きます。いわゆるディクテーションです。
文章が全部きちんと書けたら、先生があらかじめ指示した色分けに従って、品詞に分解していきます。主語、目的語、名詞、動詞、形容詞、助詞、代名詞、副詞、冠詞、関係詞などそれぞれ色が決まっていて、下線を引いたり四角で囲んだりしていきます。
最初は主語と動詞だけのような短文から始まり、だんだんと文章は複雑で長いものになっていきます。複文になってくると、この関係節は何にかかっているのか、この代名詞は何を指しているのかを矢印で示し、明確に文の構造を理解させるようになっていました。
他にも、活用の変化や男性名詞か女性名詞かを暗記したりと、きっちりと指導されていました。
ここまでしっかり文章の構造を理解させる練習をした上で、書いてある内容について質問があったり、意見を言ったりするようでした。
それに対して、日本の国語教科書は、低学年の間は文法用語も「ことばのきまり」として、うごきことば=動詞、ようすをあらわすことば=形容詞と言いかえた提示の仕方で、「しゅごをさがそう」など単元での練習量もごく限られており、文章の構造をはっきりと理解させることにはイタリア程時間を割いていません。
しかも、国語教科書には「ごんぎつね」「スーホのしろいうま」「かわいそうなぞう」「ちいちゃんのかげおくり」など読めば読む程悲しくなるようなお話が採用されており、海外でできるだけ楽しく興味を持って日本語を勉強して欲しいと思っているのに、娘のテンションは下がる一方で「こんな悲しいお話もう読みたくない」とか「誰も死なない話にしてほしい」とよく文句を言っていました。
教科書にこれらの物語が採用される意図も理解していますし、戦争の悲惨さを小学生に伝える意義もわかりますが、どう考えても「さぁ、今日もごんぎつねやかわいそうなぞうを読みたいな。わくわく」となる子どもはいないでしょう。「なんてかわいそう」「そんなひどい」と思うことで精一杯な上にまだ品詞さえわかっていないのに、登場人物の気持ちになって読もうとか、ごんの気持ちを表している部分はどこかとか執拗に気持ちを推し量れとする質問が多いのです。
もちろん国語教科書には物語文だけではなく、解説文説明文の単元もありますが、情緒的でない内容の文章になると、てきめんに勘違いやピント外れの答をすることがあり、これは文章の構造を分かっていないからだとやっと私も気がつきました。
このままでは早晩読解問題で行き詰ると感じ、まず文法からだと考え、国語教科書に固執せず日本に帰国の際に受験用の教材を探したりして、日本語を正確に読み取ることを第一に考えるようになりました。
日本の国語教科書は大変良く考えられた良い教科書だと思っています。必要最低限の事項は網羅してあり、丁寧に教えることができれば万全に近いと感じます。けれど、文法を体系的に教えるという観点からは、小学校の国語教科書と中学校で習う国文法や英文法との間に結構な隔たりがあり、中学生になったから全てのこどもがすらすら理解できるとは限らないだろうと感じます。
もっと小学校から体系的に文法を理解できるような指導が国語教科書でできれば、読解力は今より身に付くのではないかと思います。
また、海外で継承語として日本語を学ぶ子どもたちは、楽しんで勉強を続けることがまず大事ですが、日本文化に親しむことだけでなく、日本語が正確に読み書きできるように文法事項の学習をすることは、日本で育つ子どもより重点を置く方が良いように感じています。
海外で中学の国語教科書まできっちりと勉強を続ける子どもは、一般的にかなり少なくなりますので、勉強する子どもが比較的多い小学校の間に、できるだけ読解力をしっかりと身に付けられれば、趣味で日本語の本やコンテンツをもっと楽しめますし、自力で日本語学習することも可能になります。
なんとなく日本語で会話できればいいというのが継承語教育の親の望みだとしても、なんとなく意味が分かるための日本語の基礎さえなかなか身につけるのは難しい現実がありますので、子どもの能力や勉強にかけられる時間なども考慮し、ポイントを押さえながら、日本語を正確に理解させてあげられたらと思っています。
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