台湾人の両親と来日し、2才から日本で育った著者の自伝的なエッセー。
台湾語と中国語が飛び交う家庭で育つも、やがて日本語が優勢になった著者が自分の気持ちを表す言葉は日本語だと自覚するまでの葛藤や心の揺れが描かれています。
言語、国籍、政治の狭間でアイデンティティを確立させるまでの著者の心情や成長は、イタリアで育った娘の姿とも重なり、大変興味深く読みました。
「たかが言語」「言葉は単なるツール」と言い切る人も少なくないですが、そうは言い切れない生い立ちや状況の人もまた少なくないことを身にしみて感じ、言語が単なるツーツならなぜこんなに自分の内面が支配されるのかと実感していますので、本当に読んで良かったと思います。
著者が大学のゼミでリービ英雄さんの指導を受け、多和田葉子さんの作品を読むくだりがあるのですが、この3人の名前が一度に出て来たことにびっくりすると同時に、言葉について、母語についての本を読みあさっていた時に自然と行きついたのがこのお二人の著作でしたのでやっぱりという気持ちになりました。
著者は「自分のことばの杖は日本語」と自覚するに至り、そして日本語で作家になる夢を叶え、中国語も上手になりたいと学ぶことを始めます。
あぁ、私は自分の娘にことばの杖を2本与えたいと願ったのだなと自分を振り返りました。
複数のことばの杖は必ずしも同じ太さや長さでなくても良いし、片方はたまにしか使わなくても良いのです。ことばはその子の杖になり、その子の世界観やアイデンティティの構築の一部になり、その子の居場所を作る助けになります。
娘の成長を思い返したり、生徒さん達の進歩を近くで見ていると、そう感じます。
海外で子どもを育てている親や言語教育に関わる人には、参考になるエピソードがたくさんありますので、興味のある方はぜひお読みください。
0コメント