マイノリティであることについて

海外で子どもを育てていく上で、言語や教育、躾以外にも親として初めて気づき、考えざるを得ないことは色々あります。

国籍人種の問題もその一つです。

少なくとも未成年の間は国籍保留が可能で、二つ国籍を持っているのに、イタリアではアジア人として扱われ、日本ではガイジンとして見られることは普通にありました。

幸いにも、娘は毎年の一時帰国で日本の学校に通った時もいじめられたりしたことはなかったのですが、逆に言うと、日本語が上手だね、かわいいね、英語も喋れる?等と無邪気にチヤホヤされることにも正直少し違和感はあっただろうと思います

親切に言ってくださっているとわかっていても、それをわざわざ口に出す日本人の素朴さと言うかナイーブさ(褒めてません)を、娘は早くに気づいたことでしょう。

日本の小学校で「イタリアから来ました」と自己紹介したのに、同級生に「アメリカ人なの?」と聞かれたとも話していました。「日本の小学生はアメリカしか外国がないと思ってるの?」と半ば笑い呆れていました。

確かに日本の小学校低学年では、世界史や世界の地理は科目として学習してなかったかもしれませんが、だからまだ仕方がないと言う話ではないように思います。

世界中にはいろいろな出自で、いろいろな境遇の、いろいろな能力の人がいるのが普通だということに、日本人が気づいていないことの証左であったと今は思います。

娘が小学生だったのは、20年以上前の話ですから、今ならもう少し小学生の世界に関する知識も進んでいるはずと思いたいですが、どうなんでしょう。

そう思っていた時に読んだのが下の記事です。

ぜひご一読ください。

こちらも、話の内容としては薄いですが、城田さんの気持ちは当然だと感じた記事です。


この問題は、親は当事者になれない苦しさがあり、子に頑張れ負けるなと言うだけでは全く慰めにもならない現実があることについて、子供を持って以来ふとした時につい考えてしまいます。

正直、27年前に娘を産んだ時には、この子が成人する頃には日本も二重国籍を認めるようになっていると思っていましたが...

世の中が変わるのは難しいことですが、諦めないで、どの子にも明るく力強く生きられる幸せな未来があるように願っています。

こどもの  にほんご

nipponica イタリア・ボローニャ 幼児からの継承日本語クラス