バイリンガル教育のよくある説について

 バイリンガル教育でよくある説に、親の母語である日本語で会話ができない場合、将来母子でしっかりとした内容のある会話が日本語で成立しなくなるため、親子関係や精神的なつながりが希薄になる云々というものがあります。

多くのケースを観察し研究してこられた専門家の言葉ですから、一理あると思いますし、全面的に否定するつもりはありません。確かに大きな問題の生じたケースもあったのだと思いますが、まだ子どもが小さい若い母親に、極端な例を出して不安にさせるばかりでは...と少し感じています。 

海外在住でも、日本語でどんな冗談も抽象的で高尚な話題も通じ理解し合えれば、確かに親は楽ですし、一体感も感じられますが、現地語を使って生活し、日本語を理解しない配偶者と円満に生活している人がほとんどなのですから、必ずしもそこまで悲観する必要があるのかなとは思います。

日本語と現地語でそれぞれの足りない所を補い合い、お互いが母語ではない言語でやり取りし合っている家族は、きっと少なくないはずです。

もし仮に、親が自分の母語で我が子と意思疎通ができない場合、親子の精神的繋がりに問題が起きるのなら、なぜ日本に住む日本語だけしか使わないネイティブ日本人家庭にも、子どもの成績不振、非行、家庭内暴力、引きこもりなどの問題が起きるのでしょうか。あるいは、健聴者の親から生まれた聾者の子ども(または聾者の親から生まれた健聴者の子ども)は、親子の心のつながりに問題が生じるのでしょうか。無いとは言えないでしょうが、そうでないケースもきっとたくさんあるはずではないかと思います。

古い例では、小泉八雲と日本人の奥さんの間の会話は日本語でも英語でもない不思議な言葉だったわけですが、彼等にはしっかりした愛情とお互いの理解があったことが記録に残っています。

日本語を年齢相応に習得していなくても、現地語で教育を受け、しっかりと思考できるように育ったなら、親が拙い言語を使うしかなくてもきちんと育てることは可能だと思うのですが、違うのでしょうか。

 親が現地語が流暢ではない、あるいは、子どもが日本語が話せないことだけが問題の根元なのではなく、思春期前後になって、現地語がネイティブレベルではない親をバカにしたり、格好悪いと感じたり、そのあたりの認識から親子の心のすれ違いが生じる可能性は否めませんが、 これは躾というか親の毅然とした態度があれば、子どもが皆このような考え方に育つとは思えません。それとも、私の考えが甘いのでしょうか。

言語能力の不足や現地語のバックグラウンドを持たない非ネイティブとしての困難を乗り越えて、日本人の親は我が子を育てる強さと努力が必要だと感じますが、言語能力だけが問題なのかは疑問に感じる点がいくつかあります。

最終的には、言語だけの問題ではないような気がするのですが、どう思われますか?


こどもの にほんご

nipponica イタリア・ボローニャ 幼児からの継承日本語クラス