ずっと読んでみたいと思っていた本をやっと落手し、一気に読んでしまいました。
彼女に限らず、母語、母国語ではない言語で小説を書いた人は他にもおられます。
例えば、多和田洋子、リービ英夫、温又柔、李琴峰などがパッと思いつく方々ですが、その誰とも違う、もっと強く静かに押し寄せてくるような感情が淡々と書いてある本でした。
生活する、生きのびることが過酷な中、そのためにだけ必要な言語で、憎んでさえいる言語で、しかしそれを使って自分の心情を書き留めることをした彼女を思う時、私の日本語をわかる人になってほしいと願った娘への気持ちの発端を思い出したりもしました。
彼女の幼い娘に彼女の母語が通じなくなる様子がさらりと書かれている場面もありますが、その淡々とした描写がすごくよく理解できます。
外国語は仕事やコミニュケーションのツールであっても、母語は単なるツールではない、私の一部だとイタリアへ来た時に漠然と感じたことを、この作品の中で冷静に見せてもらった気がします。
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