子どもに日本語を身につけて欲しいと願う親がいると同時に、反対の考えの方もいらっしゃることも承知しています。
「本人にやる気がないのに、無理に勉強させても身に付かない」
「いつかやる気になった時に勉強すればよい」
そのような考えを見聞きして、自分の娘のことを思い、そうかもしれない、そうなんだろうかと悶々としたものです。自分の子を叱咤激励し勉強させようとすることは、間違いなんだろうかと悩んだのも確かです。
成績がつくわけではない。日本に住む予定もない。イタリアの生活で必要ない。英語のように世界で通じない。それなのに日本語を勉強させるのは、単なる教育ママ以上に意味のないことをしているように見えるのかと思いました。
『子どもの自主性に任せる。』
一見理解ある親のように聞こえますが、子どもの自主性とは一体何でしょうか?
子どもが喜ぶことをさせ、嫌がったらすぐやめさせれば良いのでしょうか?
大きくなったらスポーツ選手になりたい、音楽家や芸術家になりたいと言う子どもはたくさんいますし、練習やレッスンを休まず日々努力する子も大勢います。
練習がハードでも、指導者に叱られても、怪我をしても、決してやめようとしない子は、確かにいます。
苦しくてもつらくてもやめないのはなぜでしょうか?
練習が苦しくても発表会が楽しい。コーチに叱られてもみんなと試合するのは楽しい。上手にできなくて悔しかったけど、練習して上手になった時は嬉しい。そんな気持ちの積み重ねが、子どもを励ましているのではないでしょうか。
だったら、日本語の勉強も楽しい、嬉しいがあるようにすれば続けられるのでは?と思い至りました。
やる気が出るよう、面白いと思ってくれるように、親は色々な工夫をしなければなりませんでした。
小さな喜びや進歩を積み重ねていけるように心を砕き、頑張ったら良いことあるよと胸を張って親が言ってあげて下さい。
子どもが日本語を学び続けるためには、自主性に任せると言って放任するのではなく、その時その時の子どもの問題点に向き合い、子どもが挫けずにできるだけ長く続けられるような手だてを親が考え工夫してやることが、絶対に必要だと感じています。
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