「もしかして死んでしまうのでは。死なないで欲しい。」と思いながら読みました。
最後まで読んで本当に気の毒で、なんと言っていいかわかりませんでした。
親が悪いわけでも、このお嬢さんが悪いわけでもなく、このような境遇になり、このような外見で生まれただけの人を虐めた側がただただ悪くて愚かだと思いますが、心が折れて命を絶ってしまったお嬢さんを思うと、正しい悪いだけで済む話でもなく、このお母様の気持ちを思うとやりきれません。
日本だけの話ではなく、私の住むイタリアにも、人種差別もいじめの問題も存在します。
校則で髪の色やパーマ、ピアス等は禁止ではなく、それに関して堅苦しい規制は一切ありませんし、色々な肌の色髪の毛の子ども達が一緒に勉強しています。でも、どの子も皆それぞれの違いを尊重し、皆ハッピーなのかと考えると、必ずしもそうでないようにも思います。
アフリカ系の子に「あの子は黒くて汚い」とか、「チャイニーズは目が小さい」とか、「○○人だから臭い」と言った子もいますし、金髪碧眼は美人美男の条件として無邪気に受け入れられているのも事実です。
私の娘も、からかい半分であっても外見の事を同級生に言われたことがありますし、幼い頃には無邪気に「金髪に生まれたらよかったのに」と言ったこともありました。
子どもは皆と同じであることに非常に敏感ですし、周りが何を美と捉えているかに割と早くから影響されるように思います。
外見のことだけではなく、言葉の問題もあります。
イタリアで育ち学校教育を受ければ、イタリア語は普通に習得できますが、日本語は努力なしには習得できません。もし、思ったように娘の日本語学習が進まなかった場合、日本人から娘は「日本語おかしい〜」とからかわれるのだろうかと想像すると、日本人の親としてなんとも切ない気もちになったことを覚えています。もし日本語が上手でなくても日本にルーツがあり、親戚があり、日本の色々なことが好きなだけではダメなんだろうかと、それは今でもずっと考えています。
たとえ他人の心ない言葉であっても、それを乗り越えるために、海外で育つ子どもはたくましく育たないといけない面が多くあります。言語の壁を乗り越えられなくても失敗ではないし、外見の特徴は特に本人の努力では変えられない違いです。
でもそれらに打ちのめされる面があるのも、また事実です。
色々な日本人、色々なハーフがいて当然だし、育つ境遇も環境も違います。それを笑い者やのけ者にしないそのような世界を望んでいます。
どの子も幸せで居心地の良い場所をこの地球で見つけられるように、そう思いながら子どもたちを育てたいと思っています。
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