上記のコラムは、1年生の国語の宿題について親の素朴な気持ちを吐露したものですが、海外で日本語を学ぶ子どもの保護者の場合、もっと切実に似たような感情を持たれる方も多いと思います。
海外で暮らしていれば、日本語の手書きが必要な日常の場面は滅多にないですから、余計にそう感じてしまいます。それでも、日本語を勉強するようになると、ひらがなカタカナに始まって漢字を書く練習は避けて通れません。
コラムの筆者は、『ただ文字を綺麗に書いたり、早く計算したりするトレーニングには限られた時間をあまり割きたくありません。』と書いておられますが、1年生でそう言い切るのは時期尚早かなと感じます。
1年生の字を書く練習は、奇麗に書くことだけが目的なのではなく、手を使って手本を見ながら書くことで、正しい文字の書き方(筆順も含む)と形、意味や読みまでもを記憶することが目的だと私は思っています。
一つの字をノートの小さなマス目全部に何十回も書くとか、意味も読み方も考えず機械のように繰り返し書かせるような練習なら、時間をかけても意味がないとは思いますが。
なるべく大きなマス目の用紙を用意して、指先だけでなく肩まで動かす位の気持ちでしっかり書かせ、体全体で覚えるような感じで練習すると、ちまちま書かせるよりは理解しやすく、定着率が良いように感じています。
成長に伴って握力も強くなり、筆圧のコントロールもできるようになりますから、最初はよろよろした字を書いていたような子どもでも、自然にさっと迷いなく書けるようにはなりますが、奇麗な字は自然には書けるようにはならないのではないかと思います。
小さい時からの積み重ねが書字の癖になりますので、時間の無駄とは思わないで、今きちんと書く練習をしておくことで、大きくなってから奇麗に書けるようになるとお考え下さい。
1年生の漢字は、画数の少ない簡単な漢字ばかりで、この漢字のほとんどは、この先に学習する画数の多い漢字の部品になります。
部品をバランスよくきちんと書けないと、部品の集まりの漢字はもっと書けません。
字を書く練習に四苦八苦している1年生の我が子を見ると、親としても可哀想になってきますが、無意味と決めつけず、この苦労を無駄にしないという心構えで見守ってあげてみてはいかがでしょうか。
将来、パソコンやタブレットの入力と自動変換機能で文字を書くのだから、書く練習に時間を割きたくないと考えるのではなく、今、手書きで練習することでこの子は文字を体で覚えているのだと思ってみて下さい。遊びを通して体で子どもが色々なことを経験し成長するように、手を動かして練習させることの意味はきっとあると思います。
身体障害や学習障害など何らかの理由があって、キーボード入力やモニター画面での勉強の方が便利で苦労が軽減する子どもであれば、手書きの練習や文字の奇麗さに拘ることはないですが、一般的にはそう思っています。
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