娘がまだ幼い頃、娘に日本語で話しかけ、日本語の読み書きも習得してほしいと願っていた私に「日本語より英語を勉強したほうが将来役に立つのでは?」「英語ができれば世界中で通用するから有利」という意味のことを、日本人からもイタリア人からも言われたことがあります。
日伊の家庭でも、我が子には日本語より英語を習得してほしいと考えるケースがあることも聞いたことがあります。
私が娘に英語ではなくまず日本語を習得してほしいと願ったのは、仕事や収入の可能性を考慮してではなく、自分を構成する一部として日本語も身につけて、日本語で日本の文化や習慣を理解してくれたらと考えたからでした。
日本にも血のつながる祖父母や親戚がいること、私の母語でずっと会話をしたいと思ったこと、日本とイタリアを、正確にそしてニュートラルに理解するためにはイタリア語と同じく日本語も知っている方が良いと考えたこと等が理由です。
日本の文化や風習を、外国人のように外国語を通して理解するのではなく、日本語で理解してほしい、そうして自分自身と日本とのつながりを感じてほしいと思っていました。
イタリアに住んで、例えばインターナショナルスクールや英語で授業を行う私立校などに通わせ、家庭で日本語を勉強するという、いわゆるトリリンガルを目指す方向もあるかとは思います。ただ、私はそこまで英語に肩入れする必要性も感じませんでした。
住んでいる国の言葉、学校で学ぶ言葉、そして家庭で勉強する言葉と、3種類の言語を同時に我が子が学ぶとしたら、どうしても家庭で学ぶ言葉が一番弱くなるだろうと簡単に予想できましたから、日本語を諦めることになるのは目に見えていました。
私の娘は、日本語とイタリア語は母語として育てたいと、漠然とではありますが考えていました。英語は将来必要であるけれど、母語にはなり得ない言語でした。
日本語を学ぶ機会と時間を捨ててまで英語を学ばせるのは何か違うなと感じていたその違和感を指摘してくれているような記事が、上の東京外大の学長でもあった方の記事です。
ご興味のある方はお読みください。
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