日本語話者の母親として思うこと

 娘の日本語学習から手が離れた現在、娘への接し方や学習の進め方など反省点はありますが、最終的には、いろいろ苦労もしたけれど諦めないで良かったと感じています。

しかし娘自身は、まわりのイタリア人の子ども達と何ら変わらない生活をして、ただ日本人の母を持つイタリア人として気楽に育ちたかったのではないだろうかと考えなかったわけでもありません。

 これは結論が出ないことかもしれませんし、今からやり直せることでもありませんが、娘の成長過程において、日本語をどうしたら良いのかといくら思い悩んでも、私には日本語を切り捨てるという考えはできませんでした。

一番楽に喋れる言語で、自分の子どもとは話をしたいと思いましたし、母にしてもらったように、日本語で絵本を読み、日本語で寝かしつけをし、日本語で叱るしかできないようにも思いました。

母親が日本語で喋っていても、娘は成長と共にどんどんイタリア語が流暢になるので、娘に日本語を学んでもらうことは諦めきれませんでした。

 けれども、これはあくまでも私の願いでしかなく、日本語を学ぶことは少なくとも幼児から小学生の頃までは、娘の選択でも希望したことでもなかったという事実はずっと心から離れません。

娘は文句を言うことはあっても、結局イタリアの学校の勉強と同時に日本語学習を続けましたが、成長過程においてきっと色々と心の中で考えることもあっただろうと思います。

いわゆるハーフの子どもとして誰もが一時的にでも悩むことなのかもしれませんが、日本語を勉強しなかったとしても悩みはあっただろうと思いますし、 日本語ができても自分の境遇や存在に思うことはあるだろうと思います。

実際、日本語の勉強をしなさいと言う私に対して反抗的だった時期もありますし、口答えから母娘で大喧嘩になったこともあります。

そんな時「嫌ならやめてもいいよ」と嘘でも言ってくれない母親に、娘は何を感じていただろうかと、ふと思います。


けれど、「日本語を勉強してきて、今どう思う?」と尋ねたら「続ければ何かが残る。やらなければ何も残らない」と答えてくれました。

時が経ち、娘も大人になっただけなのかもしれませんが、私にはこの返事で充分です。

こどもの にほんご

nipponica イタリア・ボローニャ 幼児からの継承日本語クラス