1997年に イタリアで娘を出産し、育ててきました。
赤ちゃんを授かったとわかった時、当然のように「日本語で育てよう」と思いましたが、実際は思った以上に大変でした。
住んでいる所は小さな町で、日本語補習校は簡単に通える距離にはありませんでした。
当時はインターネットもまだ普及しておらず、近隣にどのくらい在住日本人がいらっしゃるのかさえよく知らず、日本語育児サークルや日本人会などは望むべくもありませんでした。
「どうしたらいいの!」と思いはしましたが、 娘の成長に追いかけられながら情報を探し、試行錯誤し、娘と喧嘩もし、何度も挫けそうになりながらも日本語を続けてきました。
娘は、この先どんな人生を歩むのかわかりませんが、日本語は、16歳の時に親の勝手な目標「日本語能力試験 N1 合格」まで到達しました。
けれども、日本語能力試験はあくまでも通過点。
この先は、専門性のあることを学んで、自分で人生を切り開いて欲しいと願っています。
まだまだ親として責任はありますが、日本語に関してはやっと肩の荷を降ろしても良いかなと思っています。
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